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​牧師コラム『執務室の小さな窓から』

今週のコラム

【執務室の小さな窓から】 No.491「教会の本質⑵」

先週に続き、役員会の学びを分かち合います。新約聖書には教会を表す言葉として「選ばれた種族」(1ペテロ2:9)というものが出てきます。「種族」とあるようにこの表現も、先週の「神の民」同様、元は旧約に記されるイスラエル民族に向けられた言葉でした。それを新約になってイエス様を信じる人々(教会)に適用したのです。そして、「選ばれた」とあることから、「教会は単に宗教的見解の一致に基づく自由な結社や、人間の恣意的な組織体ではなく、主権を持ちたもう神の自由な選びによって存在せしめられた」ということなのです。つまり、教会として互いが集う共同体は、それぞれの意思はもちろんあったとしても、それだけでそこに存在するのではない。むしろ、神様の大きな計画と導きにあって、「選ばれ」てそこにあるという理解が必要なんですね。私たちは、この霊的事実にあって、教会の関係を捉え直すことができるでしょう。「神様は、私たちそれぞれを選んでくださって、教会の一員としてくださった」「自分やまた信仰を共にする他者は神様の選びの器である」この理解は、教会で起こるさまざまな出来事、トラブルでさえも、当人にではなく神様に想いを向けることを促します。また、自分たちが神様に「選ばれた」ものであるとは、教会を神様に対する正しい恐れに歩ませ、神様の恵み深さを気づかせるでしょう。 牧師 加藤秀典

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